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今回ご紹介するのは、人気作家「马伯庸(マー・ボーヨン)」原作をドラマ化した【三国志 秘密の皇帝】です。漢王朝最後の皇帝が「双子」で、病没した兄の代わりに弟が成りすまし再興を目指すという驚きの展開が魅力。歴史的なリアリズムと武将たちの知略や計略など見どころ満載です。時代背景・あらすじ・キャスト・曲を徹底解説します。他にも「三国志の始まりから終わりまで」「司馬氏の家系」の情報についてもご覧ください。
また、「中国ドラマ」のおすすめ作品、各10選(時代劇編、現代編、台湾編)を紹介します!ラブコメディ、ロマンス、アクション、ファンタジー、ブロマンスまで、幅広いジャンルの中国ドラマをチェックして、あなたのお気に入りを見つけましょう。最後までお付き合いいただければ幸いです。
- 「三国志 秘密の皇帝」の時代背景・あらすじ・キャスト・OSTを徹底解説!
- 「三国志時代」の始まりから終わりまで徹底分析!
- 「司馬氏」の家系や活躍などに関して一覧説明
- 「中国ドラマ」のジャンル別、おすすめ作品10選(時代劇編、現代編、台湾編)紹介!
中国ドラマ【三国志 秘密の皇帝】全54話|漢王朝最後の皇帝は「双子」だった?ドラマの評価や感想を一覧解説
原作は人気作家、「馬伯庸(マー・ボーヨン)」の『三国機密』。漢王朝最後の皇帝は「双子」だったという斬新な設定。後漢末期の動乱を背景に、皇帝の双子の弟「劉平」が亡き兄「献帝」に成り代わり、漢王朝の再興を目指す。内容に関しては、「三国志マニアでなくても楽しめる」「双子の設定以外は史実に近い内容だから良い」など、評判レビューの評判もまずまずですね。中国「Tencent Video」での動画再生数が「30億回」を記録する大ヒット作となりました。
項目 | 詳細 |
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ジャンル | 歴史ドラマ、三国志 |
原題 | 三国机密之潜龙在渊 / (英語:Secret of the Three Kingdoms) |
公開年 | 2018 |
エピソード数 | 54話 |
監督 / 脚本 | 游达志(パトリック・ヤウ)、郑伟文(スティーブ・チェン) / 常江(チャン・ジャン)【原作:「三国机密之潜龙在渊」马伯庸(マー・ボーヨン)】 |
主題歌 | 王啸坤《少年志》 エンディング曲//胡鸿钧《今生无憾》香港版主題曲 |
あらすじ | 漢王朝最後の皇帝は「双子」だったという発想の三国志。病死した双子の兄「劉協」に成り代わり、漢王朝再興をひそかに託された弟「劉平」は、その正体を隠しつつ強敵「曹操」との戦いに足を踏み入れる。 |
主な出演者 | 马天宇(マー・ティエンユー)、韩东君(エルビス・ハン)、万茜(レジーナ・ワン)、董洁(ドン・ジェ)、王阳明(サニー・ワン)、谢君豪(ツェー・クワンホウ)、檀健次(タン・ジェンツー) |
評判等 | 2019年1月12日「第3回金骨朵ネットワーク映像祭 年度IP改編ネットドラマ」受賞! 思った以上に史実と密接に絡んだ説得力のある物語になっており、三国志ファンはもちろん、あまり三国志を知らない方も引き込まれてしまう内容だと思います。中国でも大ヒット。中国「Tencent Video」動画再生数、30億回を記録。評価機関サイトも高評価です! 《評価機関サイト点数》 【豆瓣:Douban 】6.4/10 【电视猫:TVMao】9.2/10 【MyDramaList】8.2/10 【IMDb】7.8/10 |
人気作家「马伯庸(マー・ボーヨン)」の長編小説デビュー作をドラマ化した「風起隴西(ふうきろうせい)-SPY of Three Kingdoms-」の解説記事もご覧ください。
中国ドラマ【三国志 秘密の皇帝】時代背景・あらすじ・キャスト
中国ドラマ【三国志 秘密の皇帝】時代背景
【献帝の即位前】
「後漢末期(紀元184年から220年)」は、政治の腐敗や農民の反乱が頻発しました。特に184年に起こった「黄巾の乱」は大規模な反乱で、後漢の統治能力の低下を露呈しました。189年、霊帝が崩御、「少帝(劉弁)」が即位。しかし、少帝の治世は短く、宮廷内の宦官や外戚の権力争いが激化しました。「黄巾の乱」際に、大将軍に任命された「何進(霊帝の皇后の兄)」が権力を握っていましたが、宦官の手にかかると都は大混乱します。この混乱を利用して、西涼の軍人であった「董卓」が洛陽に進軍し、実権を握りました。董卓は少帝を廃位し、「劉協」を「献帝」として擁立しました。董卓は献帝を操り、自らの権力を強化しましたが、その後の暴政により反発を招きました。
【献帝の即位後】
董卓の死後、「曹操」が献帝を保護し、196年に「許昌」に遷都して実権を握りました。曹操は献帝を形式的な皇帝として利用し、自らの権力を強化しました。
【三国の成立と統一】
「魏、蜀、呉」の三国が互いに争いながらも、それぞれの領土を統治していました。
「魏」は最も強力な国であり、曹操の後を継いだ「曹丕」がその基盤を固めました。一方、「蜀漢」は「劉備」が建国し、諸葛亮の知恵と戦略によって支えられていました。「呉」は「孫権」が統治し、長江を利用した防衛戦略で強固な地位を築きました。
三国時代の終わりは、魏の司馬氏が権力を握り、265年に「司馬炎」が魏の皇帝から禅譲を受けて「晋」を建国したことから始まります。これにより、魏は消滅します。司馬炎は蜀漢を滅ぼし、280年には呉をも滅ぼして中国を再び統一しました。こうして、三国時代は終わりを迎え、中国は晋の下で再び一つの国家となりました。
【民衆への影響】
三国志の時代、民衆の生活は非常に厳しいものでした。戦争によって多くの人々が家を失い、避難を余儀なくされました。また、農地が荒廃し、食糧不足が深刻化しました。各国は戦争を続けるために多くの資金を必要とし、そのために民衆に重税を課しました。また、戦争に参加するために多くの若者が「徴兵」され、家族から引き離されました。これにより、農業や商業が停滞し、経済的な困難が増しました。
戦争や混乱に伴い、衛生状態が悪化し、疫病が蔓延しました。また、食糧不足により飢饉が頻発し、多くの人々が命を落としました。一方で、民衆は困難な状況の中でも希望を持ち続け、再建に努めました。農業技術の改良や新しい商業ルートの開拓など、生活を立て直すための努力が続けられました。また、三国時代の英雄たちの物語は、民衆に勇気と希望を与えました。
中国ドラマ【三国志 秘密の皇帝】あらすじ
「三国志 秘密の皇帝」は、後漢末期の混乱した時代を背景に、漢王朝最後の皇帝・献帝には「双子の兄弟」がいたという新たな解釈で制作されている。双子の弟「劉平(りゅうへい)」が、兄の皇帝「劉協(りゅうきょう)」の身代わりとして皇帝に成り代わる「秘密」。
「劉平」は幼少期に司馬家に預けられ、「司馬懿(しばい)」と兄弟同然に育つ。ある日、父親に迎えられて都に向かう途中で、自分が「献帝」の双子の弟であることを知らされる。しかし、都に到着した時には、病弱な兄はすでに亡くなっていた。劉平は兄の遺志を継ぎ、皇后「伏寿(ふくじゅ)」や幼なじみの「司馬懿」と共に、「曹操(そうそう)」との戦いに挑む。
劉平が皇帝として成長し、彼を取り巻く複雑な人間関係、権謀術数、裏切り、そして秘密の恋が描かれる。特に、「劉平と伏寿」の関係は互いに惹かれ合いながらも、「皇帝と皇后」という立場から様々な困難に直面する。
このドラマは、美男美女が揃ったキャストによる華やかな演出と、緻密なストーリー展開が特徴であり、多くの視聴者を魅了している。「全54話」から成るこの作品は、中国では大ヒットした。
中国ドラマ【三国志 秘密の皇帝】キャスト・登場人物・「字(あざな)」について
※「字(あざな)」についての説明は、「キャスト・登場人物紹介」の最後に記載します。
キャスト | 登場人物 |
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马天宇(マー・ティエンユー) | 【劉平】字(あざな):義和。皇帝「劉協(献帝)」の双子の弟。楊俊の息子、楊平として幼いころに「司馬家」に預けられ、「司馬懿」とは幼い頃から兄弟のように育つ。ある日突然、皇帝の双子の弟だと知らされ、都へ向かう。しかし献帝はすでに病で亡くなっており、兄である献帝の遺志を継ぎ、ひそかに皇帝に成り代わる。皇后、伏寿たちと共に曹操の勢力に立ち向かい、漢王朝の再興を目指す。しかし、最終的には曹操の息子、「曹丕」に実権を握られ帝位を譲る。「山陽公」の称号を与えられ、晩年を過ごす。 |
【劉協】字:白和。後漢第14代皇帝。異母兄の「少帝(劉弁)」が廃され即位する。漢王朝の再興を目指すが、病でこの世を去る。自分の弟を身代わりにするよう命じていた。 | |
韩东君(エルビス・ハン) | 【司馬懿】字:仲達。河内郡を治める司馬家の次男。策略を得意とし、勇気や知恵を兼ね備える。幼少時に司馬家に預けられた「劉平(楊平)」とは兄弟のように育つ。ある日、姿を消した楊平が盗賊に襲われ、亡くなったと言われる。遺体が偽物であることを見破り、皇帝となった劉平(楊平)を探し当てる。漢の復興のため、曹操陣営に潜伏する。都で出会った「唐瑛」に惹かれていく。 |
万茜(レジーナ・ワン) | 【伏寿】「劉協(献帝)」の皇后。14歳のときに婚姻する。劉協から託された「劉平」を皇帝に仕立て上げ、漢王朝の再興に奔走するが「劉平」に惹かれていく。 |
董洁(ドン・ジェ) | 【唐瑛】「劉協」と「劉平」の異母兄である弘農王「劉弁」の妃。劉平を皇帝の身代わりにするという計画に加わり、伏寿たちを手助けしている。剣術の使い手であり、「袁紹」が組織した西園衛の刺客。司馬懿とは互いに惹かれ合う関係。 |
王阳明(サニー・ワン) | 【郭嘉】字:奉孝。曹操配下の天才軍師。郭「祭酒(軍師の役職)」と呼ばれる。肺を病んでいる。袁紹との戦場から都に戻る。亡くなる前に「劉平」に関する秘密を「曹節」に渡す。 |
董璇(ドン・シュエン) | 【任紅晶】「郭嘉」が戦場から都に戻る途中で連れ帰った謎の女。(三国志演義では「貂蝉」として登場。) |
谢君豪(ツェー・クワンホウ) | 【曹操】字:孟徳。後漢の重臣「司空」。献帝を許都に囲い込み、自分の思い通りに操り朝廷の実権を握る。官渡で「袁紹」軍と対峙している最中。三国の「魏」の基礎を築く。 |
檀健次(タン・ジェンツー) | 【曹丕】字:子桓。「曹操」と「卞夫人」の次男。若い時からから父と共に数々の戦場に行く。異母兄の「曹昂」を手にかけた張繡軍を憎んでいるが、その真相が母親の計略と知る。曹操亡きあと、魏の「初代皇帝」となる。 |
王玉雯(ワン・ユーウェン) | 【曹節】曹操の娘。曹丕の妹。献帝となった劉平に心を惹かれていく。 |
屠楠(トゥ・ナン) | 【滿寵】字:伯寧。許都の県令。郭嘉の配下。 |
汪小敏(ワン・シャオミン) | 【甄宓】袁紹の次男「袁煕」の夫人。曹操が鄴城を攻め落とした際に捕らえられ、その後に「曹丕:魏の初代皇帝(文帝)」の妻となる。子は「曹叡(明帝)」「東郷公主」。彼女の死後、曹叡が即位すると、「文昭皇后」の称号を追贈された。 |
王艺霖(ワン・イーリン) | 【趙彦】「孔融」の弟子。後漢の議郎として、皇帝に対して政策の立案など助言を行う役割を担っていた。「董妃」の幼なじみ。 |
李建义(リー・ジェンイー) | 【張宇】後漢の中常侍、皇帝の側近として仕える宦官。 |
舒耀瑄(シュー・ユエシュエン) | 【賈詡】字:文和。主君を次々と変え、曹操の下で重臣として活躍した。「知略と計略」で知られ、数々の戦いで重要な役割を果たす。 |
王仁君(ジーン・オウ) | 【荀彧】字:文若。後漢の「尚書令」として、文書管理や政策の立案を担う。曹操の参謀。荀令君と呼ばれる。 |
常铖(チャン・チョン) | 【楊俊】字:季才。「楊平」の養父。楊彪の甥。 |
王萌(ワン・モン) | 【楊修】字:徳祖。「楊彪」の息子、曹操の要請で倉曹属主簿を務める。 |
張琪(ジャン・チー) | 【楊彪】字:文先。後漢の太尉。「袁紹」とは親戚関係にある。 |
邓凯(ドン・カイ) | 【徐福】字:元直。楊彪の配下。 |
娜仁花(ナー・レンホァ) | 【董太后】「献帝(劉協)」の祖母。 |
李躍民(リー・ユエミン) | 【董承】後漢の将軍で「董妃」の父。許都で曹操討伐の反乱を企て失敗。 |
王艺诺(ワン・イーヌオ) | 【董少君/董妃】「献帝(劉協)」の側室。董承の娘。「劉協」の子を身ごもっている。 |
罗爱新(ルォ・アイシン) | 【呉碩】字:子胤。後漢の議郎。董承が起こした反乱に加わる。 |
张莘荣(チャン・シンロン) | 【种輯】後漢の校尉。董承が起こした反乱に加わる。 |
林静(リン・ジン) | 【何皇后】後漢「霊帝(劉宏)」の皇后。「少帝(劉弁)」の生母。彼女は189年に「董卓」によって廃位、その後は洛陽で幽閉される。 |
魯玉傑(リュー・ユージェ) | 【伏完】献帝の皇后である「伏寿」の父親。 |
余铭轩(ユー・ミンシュアン) | 【盧毓】字:子家。劉備に学問を教えた廬植の三男。晩年には司空となる。学識と品行の優れた人物で曹操に仕えた。 |
史文翔(シー・ウエンシアン) | 【冷寿光】献帝と伏寿の側近宦官。名医「華佗」の弟子で医術(五禽戯)の心得があり、多くの患者を治療し、その名声を高めた。 |
鄧英(ドン・イン) | 【卞夫人】曹操の正室。曹丕、曹節、曹植の母。 |
刘昱晗(リウ・ユーハン) | 【曹植】字:子建。曹操の四男。 |
何果軒(ホー・グオシュエン) | 【曹仁】字:子孝。武将。曹操のいとこ。 |
蒋博伦(ジャン・ボルン) | 【曹叡】字:元仲。曹丕と甄宓の息子。魏の「第2代皇帝(明帝)」。 |
張雷(チャン・レイ) | 【崔琰】字:季珪。学識と品行の優れた人物として知られ、特に「曹操」の下で重要な役割を果たし、尚書令に任命される。 |
蒋馨慧(ジャン・シンフイ) | 【崔琰の姪】崔琰の兄の娘。「曹植」の妻となる。 |
艾力库(アイ・リク) | 【許褚】字:仲康。曹操の護衛の武将。 |
殷飞(イン・フェイ) | 【張郃】字:儁乂。初めは、黄巾討伐の軍司馬として韓馥に属す。韓馥が敗れると袁紹に仕え、寧国中郎将に昇進。官渡の戦いで曹操に降伏し、以後は魏の宿将として長く活躍する。蜀で最も恐れられた名将。 |
王锐(ワン・ルイ) | 【張遼】字:文遠。最初、丁原、董卓、呂布に仕え、その後曹操に降伏。その武勇と知略で知られ、特に合肥の戦いでの活躍が有名で、少数の兵で孫権の大軍を撃退した。 |
王泽宗(ワン・ゾーゾン) | 【張繡】驃騎将軍張済の甥。董承が起こした反乱を鎮圧する。かつて宛城の戦いで曹操軍に勝利し、その戦いの中、配下の胡車児が曹操の長男、「曹昂」の命を奪った。最終的には曹操に降伏し、その後は曹操の配下で活躍する。官渡の戦いで功績を挙げたため、「破羌将軍」に昇進。 |
李駿賢(リー・ジュンシェン) | 【胡車児】張繡の勇猛な配下。過去に宛城で「曹丕」の兄、曹昂に手をかけた。 |
徐文浩(シュー・ウェンハオ) | 【柳毅】袁紹の召集に応じた儒学生。曹操が鄴城に遷都した後、許都令に昇進。 |
夏志卿(シア・ジーチン) | 【司馬防】字:建公。司馬懿と司馬朗の父。劉平を楊俊の息子「楊平」として預かり息子同様に育てる。 |
贾本初(ジア・ベンチュー) | 【司馬朗】字:伯達。司馬防の長男、司馬懿の兄。 |
叶禾(イエ・ホー) | 【司馬敏】字:幼達。司馬防の八男、司馬懿の弟。 |
何俊霖(ホー・ジュンリン) | 【陳建】司馬懿の同僚。政策の立案や文書の整理、学問の振興など行う「文学掾」 |
张辛锋(チャン・シンフォン) | 【荀長吉】司馬懿の同僚。政策の立案や文書の整理、学問の振興など行う「文学掾」 |
李燕生(リー・イエンション) | 【孔融】字:文挙。後漢の少府(宮中の物品を司る役職)。孔子の子孫の儒者。直言癖と独立した精神から、権力者との対立が絶えず、曹操との対立より処刑されてしまう。「曹丕(文帝)」は深く孔融の詩文を好んだ。 |
孙祖君(スン・ズージュン) | 【王服】字:子由。後漢の将軍。董承が起こした反乱に加わる。過去に剣術を唐瑛に教え、身分の違う唐瑛を慕っていた。 |
乔晟一(チャオ・シュンイー) | 【王越】字:世昌。天下一の剣客で「王服」の兄。(史実では王服と血縁関係はない。)曹丕を気に入り、王氏の剣術を伝授したいと申し出る。 |
蒲萄(プー・タォ) | 【王美人(王栄)】霊帝の側室。「献帝(劉協)」の生母。 |
徐丰年(シュー・フォンニエン) | 【袁紹】字:本初。後漢末の群雄の一人。曹操と対立し「官渡の戦い」で大敗。 |
张瑞珈(チャン・ルイジァ) | 【袁夫人】袁紹の妻。 |
小小白(シャオ・シャオバイ) | 【袁熙】字:顕奕。袁紹の次男。官渡の戦いで敗北。父、袁紹なき後、兄の「袁譚」と共に曹操に対抗するが、最終的には敗北し、遼東に逃れた。 |
陈晔(チェン・イェ) | 【潘揚】袁紹が組織した「西園軍」の生き残り。「唐瑛」の兄弟子。 |
李泓瑞(リー・ホンルイ) | 【淳于瓊】字:仲簡。霊帝が創設した皇帝直属の部隊である「西園八校尉」の一人である、右校尉に任命され、のちに袁紹配下の将軍となる。官渡の戦いで曹操に敗れる。 |
宋庆(ソン・チン) | 【許攸】字:子遠。袁紹の参謀。 |
廖崇儒(リャオ・チョンルー) | 【田豐】袁紹の参謀として袁紹の勢力拡大に貢献。しかし、官渡の戦いでの戦略を巡って袁紹と対立し投獄された。 |
屈扬(シー・ヤン) | 【高覧】袁紹の配下の将軍。官渡の戦いで曹操に降伏。曹操の配下として活躍し、その武勇と忠誠心で評価され、曹操の信頼を得た。 |
毕海峰(ビィ・ハイフォン) | 【審配】字:正南。袁紹の腹心で鄴を治める。 |
张瑞成(チャン・ルイチャン) | 【審栄】東門校尉、「審配」の息子(史実では審配の甥である。)曹操が袁尚の本拠地である鄴を攻めた際、審配の指揮の下で東門を守備していた。しかし、東門を開いて曹操に寝返り、審配を裏切る。 |
萧松原(シャオ・ソンユェン) | 【蜚先生】医師、袁紹の軍師、郭嘉の兄弟子。 |
关美婷(グァン・メイティン) | 【呂姬】「呂布」の一人娘。袁煕の館に捕らわれ「甄宓」の侍女をしている。 |
杨明鑫(ヤン・ミンシン) | 【鄧展】郭嘉の配下。武勇と学問の両面で優れた人物。司馬家拠点の温県で「劉平」の正体を探る。 |
俞馨妍(ユウ・シンヤン) | 【童年曹節】曹節の子供時代。 |
卢展翔(ルー・ザンシャン) | 【小楊平】楊平の子供時代。 |
林沐然(リン・ムーラン) | 【童年司马懿】司马懿の子供時代。 |
邢文傑(シン・ウェンジェ) | 【張掌柜】許都の銅駝街にある穀物店の店主。 |
刘学(リウ・シエ) | 【老乞丐】 |
孙瀚文(スン・ハンウェン) | 【小校】 |
沈雪炜(シェン・シュアウェイ) | 【幽州牧】劉虞 |
「字(あざな)」は、中国の伝統的な「命名法」の一部であり、特に古代から近世にかけて重要な役割を果たしてきました。「字(あざな)」は、成人した際に実名とは別に与えられる名前であり、通常は20歳の男子や15歳の女子が持つことができました。この制度は、個人の社会的地位や関係性を示すための重要な要素となっていました。
古代中国では、他人の実名「諱(いみな)」を直接呼ぶことは失礼とされており、特に目上の人や親しい関係でない者同士では、「字(あざな)」で呼び合うことが一般的でした。これにより、相手への敬意を示すことができるため、「字(あざな)」は社会的な関係性を表現する手段としても機能しました
「字(あざな)」の付け方にはいくつかのパターンがありました。例えば、「同義反復(名と字が同じ意味を持つ)」、「反義相対(名と字が対義語である)」、「連義推想(名と字が関連する概念を持つ)」などがあります。これにより、「字(あざな)」は単なる名前以上の意味を持ち、個人の特性や価値観を表現する手段ともなりました。
また、「字(あざな)」は社会的な地位や役職とも関連しており、「官職」に就いている場合には「姓と官職名」で呼ばれることが一般的でした。例えば、曹操は「曹丞相」と呼ばれ、その地位に応じた呼称が用いられました。このように、「字(あざな)」や役職名を使うことで、相手との関係性や敬意を示す文化が根付いていました。
近代以降、中国では法律上の名前として「姓+名」の形式が主流となり、伝統的な「字(あざな)」の使用は減少しました。しかし、台湾や東南アジアの中国系コミュニティでは今でも「字(あざな)」が用いられることがあります。このように、「字(あざな)」は中国文化における重要な要素であり、その歴史的背景には深い社会的意味合いがあります。
三国志の始まりから終わりまで、統一までの道のり
「三国志」の時代は、「後漢末期」から「三国時代」にかけての歴史を指している。具体的には、184年に起こった「黄巾の乱」から始まり、280年に「西晋」が中国を再統一するまでの「約100年間」。
この時代は、「魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉(ご)」の三国が中国を分割して支配した時期で、多くの戦争や政治的な駆け引きが繰り広げられた。
黄巾の乱(184年)
原因 | 後漢末期の政治腐敗と社会不安 |
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交戦勢力 | 張角率いる黄巾軍 vs. 後漢朝廷の軍 |
結果 | 「後漢」の勝利 |
場所 | 中国全土 |
後漢末期の政治腐敗と社会不安が原因で、「張角」が太平道を広め、農民たちを率いて反乱を起こしました。「黄巾軍」は各地で勢力を広げましたが、最終的には後漢の軍によって鎮圧されました。この乱は後漢の権威を大きく揺るがし、群雄割拠の時代の幕開けとなりました。
「黄巾」という名前は、反乱軍が「黄色い頭巾」を巻いていたことに由来する。黄色は当時の五行思想で「土」を象徴し、後漢王朝の「火徳」に対抗する新しい時代の象徴とされた。
官渡の戦い(200年)
原因 | 曹操と袁紹の間の権力争い |
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交戦勢力 | 曹操 vs. 袁紹 |
結果 | 「曹操」の勝利 |
場所 | 河南省官渡 |
「曹操」と「袁紹」の間の権力争いが原因で、両者が中原の覇権を巡って対立した。曹操が袁紹の補給基地を奇襲し、袁紹軍を大敗させた。この勝利により、曹操は「中原の支配権」を確立し、後の「魏の基盤」を築いた。
赤壁の戦い(208年)
原因 | 曹操が南方の孫権と劉備を討伐しようとした |
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交戦勢力 | 曹操 vs. 孫権・劉備連合軍 |
結果 | 「孫権・劉備連合軍」の勝利 |
場所 | 湖北省赤壁市 |
「曹操」が南方の孫権と劉備を討伐しようとしたことが原因で、両者が同盟を結んだ。「孫権・劉備連合軍」が火攻めを用いて曹操軍を大敗させた。この戦いにより、曹操の南進は阻止され、三国時代の勢力図が確定した。
合肥の戦い(215年)
原因 | 曹操と孫権の間の領土争い |
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交戦勢力 | 曹操 vs. 孫権 |
結果 | 「曹操」の勝利 |
場所 | 安徽省合肥市 |
「曹操」と「孫権」の間の領土争いが原因で、両者が「合肥」で対峙した。曹操の将軍「張遼」が少数の兵で孫権軍を撃退し、曹操の勢力を維持した。この戦いで「張遼」の名声が高まった。
夷陵の戦い(221年)
原因 | 劉備が義兄弟の関羽の仇を討つために孫権を攻撃 |
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交戦勢力 | 劉備 vs. 孫権 |
結果 | 「孫権」の勝利 |
場所 | 湖北省夷陵市 |
「劉備」が義兄弟の関羽の仇を討つために「孫権」を攻撃したことが原因で、両者が対立した。孫権の将軍「陸遜」が劉備軍を撃退し、劉備は敗北しました。この戦いにより、蜀漢の勢力は大きく衰退しました。
五丈原の戦い(234年)
原因 | 諸葛亮が魏を討つために北伐を行い、司馬懿と対峙 |
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交戦勢力 | 諸葛亮(蜀) vs. 司馬懿(魏) |
結果 | 「司馬懿」の勝利 |
場所 | 陝西省五丈原 |
「諸葛亮」が魏を討つために北伐を行い、「司馬懿」と対峙した。諸葛亮が病死し、「蜀軍」は撤退。この戦いは「諸葛亮の最後の戦い」として有名。
蜀の滅亡(263年)
原因 | 魏の司馬昭が蜀を討伐するために軍を派遣 |
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交戦勢力 | 魏 vs. 蜀 |
結果 | 「魏」の勝利 |
場所 | 四川省成都 |
魏の「司馬昭」が「蜀」を討伐するために軍を派遣した。魏の軍が蜀の首都「成都」を攻め落とし、蜀の皇帝「劉禅」は降伏。これにより、「蜀」は滅亡した。
呉の滅亡(280年)
原因 | 晋の司馬炎が呉を討伐するために軍を派遣 |
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交戦勢力 | 晋 vs. 呉 |
結果 | 「晋」の勝利 |
場所 | 江蘇省南京 |
晋の「司馬炎」が「呉」を討伐するために軍を派遣した。晋の軍が呉の首都「建業(現在の南京)」を攻め落とし、呉の皇帝「孫晧」は降伏。これにより、「呉」は滅亡し、中国は晋によって統一された。
三国時代の終焉と統一の要因
「司馬氏」は三国志の時代の主導者の一つであり、最終的には「中国を統一する」ことに成功しました。その意味で、司馬氏は「国盗り物語の勝者」といえるでしょう。
- 魏の強大化: 曹操の後継者である「曹丕」が魏を建国し、その後も魏は強力な軍事力と政治力を維持する。特に「司馬懿」の活躍により、魏は蜀と呉に対して優位に立った。
- 蜀の衰退: 諸葛亮の死後、蜀は「内政の混乱」と「外敵の圧力」により次第に衰退する。最終的に263年に魏によって滅ぼされた。
- 呉の内部対立: 呉もまた「内部の権力争い」と「外敵の圧力」により弱体化する。280年に魏の後継国家である晋によって滅ぼされた。
- 晋の統一: 司馬懿の子孫である「司馬炎」が魏の皇帝から禅譲を受け、「晋」を建国する。彼は「蜀」と「呉」を滅ぼし、中国を再び「統一」した。
司馬氏の家系について
司馬氏の家系は、「三国時代」から「晋の統一」に至るまでの重要な人物を含んでいます。以下に、司馬氏の家系を簡単にまとめます。
【司馬防(しばぼう)】
- 司馬懿の父。後漢末期の官僚。
- 子供たち:司馬朗(伯達)、司馬懿(仲達)、司馬孚(叔達)、司馬馗、(季達)、司馬恂(顕達)、司馬進(恵達)、司馬通(雅達)、司馬敏(幼達)
()内は「字(あざな)」【司馬八達】と呼ばれた。
【司馬懿(しばい)】
- 司馬防の次男。魏の重臣であり、後に実質的な権力を握る。
- 子供たち: 司馬師、司馬昭、司馬孚、司馬亮、司馬伷、司馬京、司馬駿、司馬進、司馬倫
【司馬師(しばし)】
- 司馬懿の長男。魏の大将軍。
- 子供たち: 司馬攸、司馬伷
【司馬昭(しばしょう)】
- 司馬懿の次男。魏の大将軍であり、後に魏の実質的な支配者となる。
- 子供たち: 司馬炎、司馬攸、司馬倫
【司馬炎(しばえん)】
- 司馬昭の長男。魏の皇帝から禅譲を受けて「晋」を建国し、「初代皇帝」となる。
- 子供たち: 司馬衷、司馬攸、司馬倫
【司馬衷(しばちゅう)】
- 司馬炎の長男。晋の「第2代皇帝」。
世代 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
初代 | 司馬防(149年 – 219年) | 後漢末期の官僚 |
二代 | 司馬懿(179年 – 251年) | 魏の重臣 |
三代 | 司馬師(208年 – 255年) | 魏の大将軍 |
三代 | 司馬昭(211年 – 265年) | 魏の大将軍 |
四代 | 司馬炎(236年 – 290年) | 晋の初代皇帝 |
五代 | 司馬衷(259年 – 307年) | 晋の第2代皇帝 |
「晋」の滅亡
晋は、265年に「司馬炎」が魏から禅譲を受けて成立し、280年に呉を滅ぼして「中国を統一」した。しかし、「内乱や外敵の侵入」により、316年に「西晋」が滅亡。その後、第2代皇帝(司馬衷)の叔父「司馬睿」が南方に逃れ、317年に「東晋」を建国。「司馬氏」は西晋の滅亡後も東晋の成立に深く関与し、南方で新たな政権を樹立した。
東晋は317年に「司馬睿」が建国し、南方で新たな政権を樹立した。しかし、東晋も内部の対立や外部の脅威に直面する。特に、北方の異民族(五胡)の侵入が頻繁にあった。東晋はこれに対抗するために多くの戦争を繰り広げたが、内部の対立や経済的な問題が続いた。
最終的に、420年に「宋王(劉裕)」が、東晋の最後の皇帝である「恭帝(司馬徳文)」から禅譲を受けて「南朝宋(劉宋)」を建国した。劉裕は東晋の混乱を利用して権力を握り、司馬氏の一族を排除する。これにより、東晋は滅亡し、「南朝宋(劉宋)」が新たな王朝として成立した。
中国ドラマ【三国志 秘密の皇帝】エンディング曲
王啸坤《少年志》 エンディング曲
崩御を明かすこともできず、兄の「劉協(献帝)」を弔いたいという思いが込められているようです。
- 王啸坤《少年志》エンディング曲
- 胡鸿钧《今生无憾》広東語主題曲
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